History

♪ クリスティー結成以前

Jeff Christie


イギリスのLeedsに生まれ、13才の時にOuter Limitsと言うアマチュアバンドを結成してLeedsを中心に活動していました。Outer Limitsは、1967年に次の2枚のシングルを出しました。
Just One More Chance/Help Me Please (Deram)
Great Train Robbery/Sweet Freedom (Immediate IM067)
しかし、どちらの曲もヒットせずバンドは解散し、Jeffは作曲活動に専念します。近くに有名なバンドや歌手が来ると、楽屋に押しかけて自分の作った曲を売り込みますが、まったく相手にされない日々が続きます。

Vic Elmes
(left) , Mike Blakley (right)

1963年にThe Epicsと言うバンドを結成し、セミプロとして主にスカンジナビアで活動していました。ただ、演奏する場所がクラブのようなところばかりなので、レパートリーは古いスタンダードや「イエスタデイ」のようなヒット曲を自分たち流にアレンジしたものでした。

♪ クリスティーの結成と「イエロー・リバー」のヒット

イエロー・リバー」がレコード化され、クリスティーが誕生するまでのいきさつは別ページにしました。TOPページに戻って、A Story of Yellpw Riverをクリックして下さい。

左の広告のように、英CBSがプッシュした結果、1970年5月9日付けNew Musical Express紙で21位でチャートインします。そして急上昇の末、ついに1位になります。

ヒットの陰には、この曲を没にしたトレメローズの応援もあったようです。ステージでは「イエロー・リバー」をレパートリーに加えて宣伝に協力していました。

レコードは発売されたものの、ヒットするかどうか自信はなかったようで、Vicはチャートインした週にやっと昼間の仕事をやめたところですし、Jeffに至っては、まだその週もキャバレーでベース弾きをしていました。

ヒットすれば当然ライブで演奏することになるので、急きょ3人は2週間かけてリハーサルをします。下の写真はその時の様子です。

(L to R) Vic Elmes, Mike Blakley, Jeff Christie
♪ Mikeの脱退とPaulの加入
(L to R) Vic Elmes, Jeff Christie, Paul Fenton
ヒットのおかげでツアーにあけくれていましたが、5ヶ月でドラムスのMikeが脱退します。Vicによると、理由はドラマーとしての技術的な問題なようです。そこで急きょJeffの知人のPaul Fentonが加入することになります。

こうしてパワーアップした彼らの2枚目のシングル「想い出のサンバーナディーノ」は、イギリスでは7位にまで上がるヒットとなり、続いてこの曲と「イエロー・リバー」の2曲を含むデビューアルバムを発表します。

♪ Lemの加入と解散


万事順調であった彼らも、3枚目シングル「気になる男」の失敗を境目に急速に人気は下降し、セカンドアルバム"FOR ALL MANKIND"は、ヨーロッパでは発売されたものの、本国イギリスではついに発売されませんでした。

Jeff
がキーボードに専念するため、ベースにLem Lubinを加えて4人組となった彼らは、"Iron Horse"と言うマイナーヒットを出しますが、JeffVicの音楽的な確執が表面化し、グループとしては解散してしまいます。

その後、Jeffは引き続きクリスティー名義で何枚かシングルを発表し、ソロ活動やプロデュース活動を続けます。

現在、Jeffは優雅な印税生活をしており、気が向けばライブ出演をしているそうです。