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PLESERAU SERCH
EARTH SONG / OCEAN SONG
THOSE WERE THE DAYS

APPLE
A: Those Were The Days
   
悲しき天使
B: Turn, Turn, Turn
   
ターン・ターン・ターン

APPLE AR-2160 1968-12-05
APPLE APPLE 2 1968-08-30
APPLE 1801 1968-08-26
アップルでのデビューシングル。イギリスでは人気女性歌手のサンディー・ショーがこの曲を急きょ録音し、発売日をメリーと同じ8月30日ぶつけてきてアップルをあわてさせたが、結局メリーの一人勝ちに終った。この曲は元々はロシア民謡であるが、プロデューサーのポールが1年以上前から目をつけていて、最初ドノバンに、続いてムーディー・ブルースに声をかけたがものにならず、ようやくメリーで日の目を見た。なお、このシングルは各国共、モノラルで発売された。
悲しき天使は英語以外に次の4カ国語でも発売されたが、このうち、フランス語版とドイツ語版は、未だにCD化されていない。
(フランス語)Le Temps De Fleurs
(スペイン語)Que Tempo Tanfeliz
(イタリア語)Quelli Erano Giorni
(ドイツ語)An Jenem Tag

A: Goodbye
   
グッドバイ
B: Sparrow
   
スパロー

APPLE AR-2160 1969-04-01
APPLE APPLE 10 1969-03-28
APPLE 1806 1969-04-07
悲しき天使のヒットから数ヶ月たち、ポールが「そろそろ次の曲を用意しないと」と言って、僅か10分で書いた第2作。悲しき天使ポールが自分でギターを弾きながら生でメリーに曲を教えたが、このグッドバイポールがデモテープを作って教えたので、ポールの歌うテープが現存する。
ポールがプロデュースしている期間は、ポールメリーともに編曲段階から伴奏トラックの録音 まで立ちあっており、このグッドバイではメリーポールがギターを弾いているし、最初から終りまで聞こえるパタパタと言う音もポールが担当している。
アップルはこの曲の全世界同時発売を目指したので、米英のように録音から発売まで1週間でもOKと言う国はよいとして、発売まで2〜3ヶ月かかるのが当たり前だった当時の日本では大混乱したようだ。なにせ、録音日が3月1日、日本での発売日が4月1日なので丸1ヶ月で発売にこぎつけたことになる。ただこのためか、4月1日に店頭に並んだのは左上のモノトーンなジャケットだったが、すぐに左下のカラフルなものに差し替えられた。
なお、この曲からアップルのシングル盤は、原則としてステレオとなった。

A: Temma Harbour
   
夢みる港
B: Lontano Dagli Occhi
   
瞳はるかに

APPLE AR-2446 1970-03-05
APPLE APPLE 22 1970-01-16
APPLE 1816 1970-01-29
ポールビートルズの活動の方が忙しくなったので、ベテラン・プロデューサーのミッキー・モーストが担当することになった。ただ、ポール時代と違い、ミッキーが用意したカラオケにメリーがボーカルをかぶせるだけになり、曲作りにメリーの参加する余地はなくなってしまった。
なお、原題のTemma Harbourと言う地名はオーストラリアのタスマニア島に実在するが、この曲のトロピカルな雰囲気と正反対に年中冷たい風の吹く寒村らしい。

A: Knock, Knock Who's There?
   
しあわせの扉
B: I'm Going To Fall In Love Again (US:International)
   
恋の芽生え

APPLE AR-2503 1970-04-25
APPLE APPLE 26 1970-03-20
APPLE 1855 1972-11-08
1970年のユーロヴィジョン・ソング・コンテスト参加曲。イギリス代表としての参加に先立ち、クリフ・リチャード・ショーに6週に渡ってテレビ出演して候補曲を毎週1曲ずつ計6曲を歌い、視聴者からの投票で1位に選ばれたのがA面のしあわせの扉、2位がB面の恋の芽生えであった。オランダのアムステルダムで開かれたコンテストでは、アイルランド代表ダナの「若葉の季節」に破れ、しあわせの扉は惜しくも2位であった。
このシングルはモノで発売され、A面のしあわせの扉のステレオは未だに発売さえていないし、B面の恋の芽生えのに至っては未だCD化されていない。
なお、アメリカでは当時発売されず、2年以上たってから、LPTHOSE WERE THE DAYSからのシングルカットと言う形で発売された。

A: Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)
   
ケ・セラ・セラ
B: Fields Of St. Etienne
   
サン・エチエンヌの草原

APPLE AR-2584 1970-08-25
(Not Released)
APPLE 1823 1970-06-15
グッドバイに続くシングルとしてポール時代に録音されていながらお蔵入りになっていたもので、4枚目のシングルしあわせの扉が発売されなかったアメリカなど数カ国では、代わりにこのケ・セラ・セラが4枚目のシングルとして発売された。日本ではしあわせの扉が既に発売されていたのでこの曲の発売予定はなかったが、メリー来日時に本人に直談判して許可を得、急きょ発売された。
なお、ケ・セラ・セラミッキー・モーストのプロデュースであると書かれていることがあるが、これはアルバムTHOSE WERE THE DAYSのクレジットミスを引きずっているもので、シングル盤ラベルにも記載されているように、プロデューサーはポールである。サビの部分を新たに作曲し、アレンジとベースをポールが担当しているのを知っていながら、「プロデュースはミッキー・モースト」などと平然と書く日本盤解説者の神経を疑う。ちなみに、このクレジットミスは、CD化後も未だに訂正されていない。

A: Think About Your Children
   
未来の子供たちのために
B: Heritage
   
ヘリテッジ

APPLE AR-2695 1971-01-25
APPLE APPLE 30 1970-10-16
APPLE 1825 1970-10-18
ミッキー・モーストプロデュース最後の作品。このころにはミッキー・モーストメリー自身も方向性を見失っていたようで、ジェイムス・テイラーから提案されたきみの友だち(You've Got A Friend)を拒否し、エルトン・ジョンからもらった僕の歌は君の歌(Your Song)を没にしてまで発表したこの曲の失敗を境に、急速に失速していった。
なお、アルバムやCDに収録されているのは別バージョンで、このバージョンはシングル盤でしか聴くことができない。

A: Let My Name Be Sorrow
   
私を哀しみと呼んで
B: Kew Gardens
   
キュー・ガーデン

APPLE AR-2843 1971-08-05
APPLE APPLE 30 1971-06-18
(Not Released)
この年の11月に結婚することになるトニー・ビスコンティがプロデュースした第1作。アメリカでは発売されなかった。

A: Let My Name Be Sorrow (Japanese Version)
   
私を哀しみと呼んで(日本語盤)
B: Kew Gardens
   
キュー・ガーデン

APPLE AR-2890 1971-10-05
(Not Released)
(Not Released)
私を哀しみと呼んでは英語以外に、フランス語と日本語でも発売された。日本での人気が落ちてからの発売であり、公式にはCD化もされていないので、超レア盤と言える。

Thanks to 'Mary's Fan'
A: Water, Paper And Clay
   
水と紙と粘土
B: Jefferson (US: Streets Of London)
   
ジェファーソン

APPLE AR-2958 1972-02-??
APPLE APPLE 30 1971-12-03
APPLE 1843 1971-12-01
アップル最後のシングル。とは言っても、LP大地の歌から単にシングルカットしただけである。