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所蔵者:西宮市立郷土資料館 |
製作年:不明 |
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年代不明 63.3cm×92.4cm 軸装
この絵図は「御料上ケ知立会」という記述から、明和6年(1769)の上知で鳴尾村が幕府領となったときものと思われる。
正徳元年に開かれた上田新田(篠山藩領)の堤の南側には、黄緑色で塗られた「鳴尾村分新田」が広がっている。西側の「未新田」は元文4年(1739)に開かれた。枝川を挟んだ西鳴尾部分が破損しているが、描かれている新田は、未新田と同年に開かれた砂浜新田と思われる。
未新田の東側、武庫川西側にある「砂浜見取畑」は明和2年(1765)に検地が行われた東浜酉高入新田であるはずだが、まだ周りに堤は作られていない。絵図では未新田の南側は砂浜だが、明和7年には卯新開が開かれる。
---HP「西宮市立郷土資料館」第24回特集展示「鳴尾の新田開発」より |
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63.3×92.4cm
18世妃後半のものと思われ、大坂の代官役宅や西宮・今澤村への距離が記載されている。尼崎藩領(小曽根村・小松村)は茶色、篠山藩領(上田新田村)は緑色、鳴尾村の新田は黄緑色、中国街道は赤色に塗られている。
しかし、浜側は砂浜網引場となっていて、まだ本格的な新田開発ははじまっていない。鳴尾村が明和6年(1769)に幕府領になった直後のものと考えられる。
---「鳴尾村誌1889-1951」より |
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