2010/07/05 0:23:25
1995年の「今津文化」の閉館後は西宮市内から映画館が消え、復活をめざす人たちの手で様々な運動が繰り広げられましたが、西宮スタジアム跡地利用として誘致された阪急西宮ガーデンズ内の「TOHOシネマズ西宮OS」と言う形でその願いはかなえられました。
前回の「北口会館」のページで紹介したように、昭和8年まで今津は現在よりずっと広く西宮北口のすぐ南まで及んでいて、阪急西宮ガーデンズの地はその北端にあたります。
西宮市との合併にあたり、旧今津町地域は原則として「今津〜〜町」または「津門〜〜町」となりましたが、JR線より北は今津から切り離され、町名の頭に「今津」も「津門」も付けられませんでした。もしこの地域が今津のままであったなら、阪急西宮ガーデンズの所在地は合併前の「今津町津門字高松」にあたりますので、『津門高松町』になっていたかもしれません。
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今津山中町には、マーキュリー・レコードがあり、西宮北口には映画の撮影所があった阪急今津線沿いは、映画館があるだけではなく映画や音楽を作る街でもあり有名な芸能人も多く住んでいました。
更なる今津の堀り下げを期待しています。
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/07/05 10:31:40
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我が今津〜〜町も西宮市との合併の時、甲子園〜〜町と町名が変わるところが、今は亡くなった舅たちが由緒ある今津をなくすことを大反対して、この辺りは今津が残っていると聞いた覚えがあります。
地理的には少しややこしいですが、いろいろな訳を考えると面白いですね。改めていろんなことを教えていただけて、この地に住むものとしては楽しみです。
[ ショコママ ] 2010/07/05 15:55:59
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西宮芦屋研究所員さん。
マーキュリー・レコードは、一度見学させてもらおうと思っているうちに無くなってしまいました。残念です。北口の撮影所は一度だけ見学に行ったことがあります。松島トモ子が角兵衛獅子の格好をしていた気がします。
ショコママさん。
今津の東端の町名が甲子園〜に変わったのは比較的最近で、昭和39年から昭和46年のことでした。反対運動をされたのはその頃のことだと思います。結局、今津は北も東も削り取られてかつての半分くらいになってしまったと言うことですね。
[ 今津っ子 ] 2010/07/05 21:13:57
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2010/07/04 5:05:09
『キネマ旬報』1958年(昭和33年)2月下旬号には載っていませんが、西宮北口駅の南西すぐ、現在のプレラにしのみやの位置に、「北口会館(正式には東宝北口会館)」がありました。
元々は日本の伝統芸能を上演する劇場「日芸会館」として昭和25年に建設されましたが、昭和31年に閉館して東宝の所有となり、昭和30年代中頃に東宝映画の封切館「北口会館」として再オープンしました。このため、映画館となった後も地元ではあいかわらず「日芸会館」と呼ばれていました。
繁華街でもなく、また他の映画館から離れた不利な立地であったにもかかわらず、社長シリーズ、駅前シリーズ、若大将シリーズ、ゴジラはじめ大怪獣シリーズ等で賑わっていましたが、昭和45年ころ閉館となりました。
ところで、なぜこの地区が今津なのか疑問に思われる方も多いでしょう。
実は、昭和8年まで、今津は西宮の一部ではなく、兵庫県武庫郡今津町と言う独立した町でした。現在の今津小学校六角堂の位置に町役場があり、町域は阪急線の少し手前までありました。ところが、西宮市との合併に際して、JR線(当時は省線)より北は今津から切り離された結果、現在では今津(津門を含む)はJR線から南だけを指すようになりました。
と言うわけで、下の地図にように、北口会館はかつての今津町津門の北端にあった津門池を埋め立てた跡にあたりますので、少し強引ですが今津にあった映画館に含みました。
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日芸会館時代には、現在でも活躍している有名芸能人も
出演していました。ここはスケートリンクになったりしましたが、その後、プレラやその横に芸文センターが出来たりして「舞台芸術の殿堂」としての伝統は十分受け継がれています。
阪急電車は宝塚まで、今津線沿線なのですから、この場所を「今津映画文化圏」と言っても問題はないのではないでしょうか。
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/07/04 8:59:15
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映画館になってからはよく通いましたが、日芸会館時代は子供には縁のない施設でしたので、中で何が行われているか全く知らずに前を通り過ぎていました。めんぼくございません。
「今津映画文化圏」とはおもしろいアイデアですね。同感です。
[ 今津っ子 ] 2010/07/04 23:41:21
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2010/07/03 2:21:16
前回までは『キネマ旬報』1958年(昭和33年)2月下旬号を参考に昭和33年の今津を紹介してきましたが、今回は関東在住のむ〜さんが提供してくださった写真で昭和50年代の今津を紹介したいと思います。
む〜さんのブログはこちら:
お出かけ通信:blog版
この写真は当時の旧国道踏切りの北側に立って、西から東に向って撮影されています。元々は電車をメインに撮影されたものですが、右端にかつての「第2朝日」、このころには「今津大劇/今津東映」に変わっていた映画館が映っています。「第2朝日」のページでも説明しましたが、昭和40年代50年代の仁侠ものや東映まんがまつりが上映されていたのは、こちらの2代目「今津東映」です。
写真撮影者のむ〜さんによると、上演作品は全て東映で、「脱走遊戯」(昭和51年6月、千葉真一主演)、「戦後猟奇犯罪史」(昭和51年6月、泉ピン子他)「人斬り与太 狂犬三兄弟」(昭和47年10月、菅原文太主演)と読めるそうです。
昭和33年の「第2朝日」のころと比べて見ると、建物の様子がだいぶ変わっています。こちらに移転して再開するにあたって大改装しただけのか、あるいは建替をしたのかは引続き調査したいと思います。
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2010/07/02 4:21:53
当時、各地の繁華街には周辺映画館で上演中のポスターを貼った案内板がありました。
今津駅前の案内板は阪神電車の踏切りの北側、阪急に乗る人も阪神で大阪方面に向う人も、どちらも通る一等地にありました。
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2010/07/01 0:36:52
他の5館が線路沿い又は広い道沿いであったのに対し、「今津文化」だけは少し奥まったところにありました。
当時は洋画館で、「復習に来た男」と「砂漠の鼠」(いずれもアメリカ映画)の名前が見えます。
映画ブームが去った後、やがて成人映画主体となり、逆にそれが幸いしてか、市内唯一の映画館として存続してきましたが、阪神淡路大震災で被災し、1995年に閉館となりました。
もっとも、被災してそのまま閉館したのではなく、いったん再開した後に閉館しました。そのあたりの詳しいいきさつは、今津文化創設者のご子息で、閉館時の館長だった田中健氏が子供時代の思い出とともに講演会で語っておられます。
「映画ポスターと社会・時代・文化」展 講演会の概要
[この項、7月2日追記]
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今津文化が震災前まで生き残っていたとは以外でした。
市場の真ん中の通路を出たところで、野菜か果物の並びで、ひっそりと映画を上映していたというような雰囲気でしたね。
今津東映のところでコメントするのを忘れていましたが、ここでデビューして間もない頃の橋幸夫が公演したことがありませんでしたか?
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/07/01 12:54:20
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閉館時の館長さんの話が見つかりましたので本文に追記しました。
橋幸夫の話、私は知りませんでしたので宿題にさせてください。
[ 今津っ子 ] 2010/07/02 3:59:09
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2010/06/30 0:46:59
「今津東映」と「今津大劇」は1つの建物でしたが、今のシネコンとは違い、入口は別々でした。
駅に近い側、今津東映の当時(昭和33年1月9日〜14日)の上演作品は「神変麝香猫」(主演:大友柳太郎)と「忍術水滸伝 稲妻小天狗」(主演:東千代之介)の2本。もちろん2本とも東映作品です。
今津大劇は上演作品は洋画2本で、一本は「カリビアの夜」と言うイタリア映画、もう1本のタイトルは不明です。
昭和37年ころ、東隣の松竹封切館であった「第2朝日」が大映封切館の「今津大映」になったのに伴って「今津大劇」は「今津松竹大劇」として松竹封切館となりましたが、昭和40年ころ「今津東映」と共に閉館しました。
ところが数年のブランクを経て、旧「今津大映(=第2朝日)」に移転の上「今津大劇(後に今津大劇/今津東映)」として再開しました。再開後については日を改めて紹介します。
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2010/06/29 0:37:04
「第3朝日」は今津地区では最も新しく(私の記憶では昭和30年代はじめに開館)、逆にこの地区では最初に昭和37年ごろ閉館しました。すぐに日産の所有となり、現在にいたっています。
写真にはハッキリ「大映封切場」の文字が読み取れます。
当時(昭和33年1月9日〜14日)の上演作品は「月姫系図」(主演:市川雷蔵)と「新婚七つの楽しみ」(主演:若尾文子)の2本。
余談ですが、現在の日産プリンスの43号線側には、かつて空港バスのバス停がありました。名神インターチェンジに入る直前ということでたまたまこの場所が選ばれたのかもしれませんが、なにせ今津から伊丹空港に直行でき、とても便利でした。
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2010/06/28 6:10:33
第2朝日は、阪神本線沿いにあって電車からよく見え、阪神市場に隣接していたと言う好条件に加え、夕方になると線路際にずらり並んだ屋台が営業を始め、昼も夜も人通りが絶えない一等地にありました。
当時(昭和33年1月9日から14日)の上演作品は、「伝七捕物帳・髑髏狂女」(主演は高田浩吉と瑳峨三智子)と「がっちり若旦那」(主演は伊藤雄之助)の2本で、いずれも松竹です。
昭和37年ころ、大映封切館であった「第3朝日」閉館のため、「第2朝日」が大映封切館の「今津大映」となり、松竹は「今津大劇」の方に移って「今津松竹大劇」となりましたが、それもつかのまで、「今津大映」も昭和40年ごろ閉館しました。[この項、ショコラパパさんのご指摘により再調査の結果、6月29日に訂正しました]
ところが昭和40年代中頃、既に一旦閉館していた西隣の今津大劇/今津東映が、この施設を利用して再び今津大劇/今津東映(当初は大劇のみ)として開館しました。
従って、同じ今津東映と言っても、昭和30年代は(4)で紹介する予定の今津東映ですが、昭和40年代から昭和50年代はこちらだったと言うことになります。
今津文化を除けば、大手系映画館として西宮市内で最後まで残りましたが、昭和が平成に変わる直前に再び閉館しました。
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今津っ子さん 楽しみにしています。
今津大劇は正式には、今津松竹大劇といったのではなかったのかな?
[ ショコラパパ ] 2010/06/28 11:44:27
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情報ありがとうございます。
ここに限らず、当時の映画館は正式名称と地元の呼称がずれていることがよくありましたのでややこしいですね。
[ 今津っ子 ] 2010/06/29 0:41:34
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改めて資料を調べ直したところ、大映封切館であった「第3朝日」閉館に伴い、昭和30年代中頃に系列の組み替えがあり、「第2朝日」が大映封切館、「今津大劇」が松竹封切館の「今津松竹大劇」になって、この状態が40年代始めまで続いたようです。
[ 今津っ子 ] 2010/06/29 17:59:25
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2010/06/27 10:30:58
2008年(平成20年)11月26日、西宮北口に「TOHOシネマズ西宮OS」がオープンし、1995年の「今津文化」閉館以来、13年ぶりに西宮に映画館が復活しましたが、映画全盛期の昭和30年代前半、今津には映画館が6館もありました。
『キネマ旬報』1958年(昭和33年)2月下旬号に、その6館の写真が掲載されていますので、50年後の現在の写真と対比しながら紹介したいと思います。
今津には「朝日」と名のつく映画館が3つありました。
「第1朝日」は阪急の線路沿い、現在の阪急今津駅の東側にありましたが、昭和40年代初めに閉館し、今はパチンコ屋になっています。
当時の上映作品は「心の肉体の旅」と「青い山脈」。
「心の肉体の旅」は南田洋子主演の日活作品で、石原裕次郎がクレジット無しで出演でおり、長く幻の作品と言われていましたが、最近出た話題の90枚組DVDに収録されて日の目を見ました。
「青い山脈」は吉永小百合主演で日活が撮るのは5年後の昭和38年で、この時点では昭和32年封切りの東宝作品しかありませんので、第1朝日は日活専門館ではなかったようです。
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今津っ子さん、はじめまして。ひとつ隣の駅の近くで育ち生活していた主人にとって(今も・・)懐かしい思い出の映画館だと思います。歩いて行けた映画館です。祖父に手を繋がれて入った映画館もあるのではないでしょうか。楽しみにしています。
[ ショコママ ] 2010/06/27 12:43:06
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初めまして、私も楽しみにしております。ショコママさん、東映まんがまつりの「長靴をはいた猫」や「空飛ぶ幽霊船」「海底20000マイル」のような題名でしたでしょうか?私も見に行きましたよ。
[ ピース ] 2010/06/27 13:27:47
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今津っ子さん 私は、阪神電車の一つ西側の東口で育ちましたが、時々は今津の映画館へも行っていました。これからの今津の今昔の話、期待しています。しばらく前に、西宮流のブログで水波町に住んでいた水木しげる氏のことを取り上げました。今年の後半、このことにもっとスポットが当たるのではと思っています。
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/06/27 14:45:47
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ショコママさん。
喜んでいただき光栄です。地図も付け加えました。次は第2朝日の予定です。
ピースさん。
当時から東映は子供向き作品が多かったですね。引続き今津東映の写真もアップする予定です。
西宮芦屋研究所員さん。
水木しげるでBLOGが盛り上がっていますね。水波町216は今のパチンコ屋で、角を曲がってすぐのところだったようですね。水木しげるが居たころの5年程後の住宅地図がありますのでアップしておきます。小さな建物がひしめいていたことが分かります。
http://imazukko.fau.jp/photo/mizunamimap.jpg
[ 今津っ子 ] 2010/06/27 17:38:59
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地図を入れていただいて、当時のことがはっきりと思い出せるようになりました。43号線沿いの映画館、第3朝日が「プリンス自動車」にかわったことも忘れていましたが、この第3朝日以外の映画館は全部行ったことがありますので続きが楽しみです。
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/06/27 22:34:55
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今津は昔映画館が6館も会ったなんて、今から考えると夢のような話ですね。主人は子供の頃は祖父に連れられて今津東映で、美空ひばりの映画をよく見たそうです。高校生になってからは今津文化で洋画を・・・西宮芦屋研究所員さんとも、同じ時、同じ映画を見ていたこともあったかもしれませんね。おかげで会話の少ない夫婦が、今日ばかりは話が弾みました^^
ピースさん、残念ながらマンガ祭りは行っていないのです^^;
[ ショコママ ] 2010/06/27 23:55:16
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西宮芦屋研究所員さん。
第3朝日は、新しい映画館ができたなと思っていたら数年で無くなってしまいましたので、残念ながらほとんど記憶に残っていません。
ショコママさん。
今後とも今津ネタで会話が弾むといいですね。
美空ひばり映画も見ましたが、まんが祭りもたくさん見ました。子供のお供でしたが、結構私も楽しみました。
[ 今津っ子 ] 2010/06/28 6:41:04
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