2010/08/20 6:05:07
今では日中1時間に1本だけでマイナーな西宮尼崎線ですが、かつては本数も多く、住民の足として欠かせない時期もありました。
元々阪神西宮駅から今津経由で浜手を循環する路線と、甲子園から浜甲子園経由で循環する路線がありましたが、これら2つの地区を結ぶ形で昭和35年に西宮甲子園間の路線が開設されました。
本数は多く、25分ごとだったと記憶しています。
開設から1年余り後、臨港線経由で尼崎方面に路線が延長されて西宮杭瀬線となり、併せて阪神今津駅前を通るようになりました。また同時に20分ごとに増発されました。
バスは出屋敷駅前から2号線に出て阪神杭瀬駅前まで運転されていましたが、行先を示す幕には2号線上の「北杭瀬」しか無かったため、「北杭瀬行き」として案内されていました。
後に朝夕ラッシュ時の10本は北杭瀬から更に延長し、淀川沿いに進んで長柄橋まで運転されるようになりましたが、昭和42年には、阪神尼崎行きに短縮され、現在の西宮尼崎線になりました。
なお、阪神西宮は専用のバス停から発車するので問題はないのですが、2号線の札場筋と市役所前は2号線をまっすぐ上甲子園方面に向うバスと同じバス停のために誤乗が多く、上甲子園方面方面には行かないことを繰り返し案内さるにもかかわらず、今も昔も西宮駅であわてて降りる人が絶えません。
昭和55年、阪神電車の久寿川付近の立体化に伴い、久寿川回りを取りやめて今津駅踏切を渡るように路線が短縮されました。また利用者の減少に伴い大幅に減便されました。
昭和57年にはさらに減便されて1日3本になり、阪神淡路大震災後に一時休止されたのち平成10年に復活したものの利用者の減少は著しく、このまま廃止されてもおかしくない状況でした。
ところが、昭和56年、それまで阪神電気鉄道自動部として電鉄直営であったものが独立の子会社阪神バスに移行する際に西宮甲子園間が大幅に増便され、日中1時間に1本運行されるようになって徐々に利用者が増えてきました。
ただし、現在は甲子園尼崎間は極限まで減便され、休日1日1本のみとなっています。
もちろん、このような本数では利用者が居るはずもなく大赤字ですが、この区間の営業免許を維持するためによくバス会社が採る手法で、めずらしいものではありません。
| 今津のバス | コメント( 2 )
バスが走ってなさそうなのに、バス停だけがある場所があります。例えば津門西口町や仁辺町の鳴尾御影線などもそうですが、頻度が少ないため出くわさないだけだったのですね。また、謎が解けました。 運転手さんに不気味がられるかも知れませんが、一度、阪神西宮から尼崎まで乗ってみようかな! [ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/08/20 15:20:43 [ 削除 ] |
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不気味がられることはないと思います。 行先によっては乗り換えなしに遠くまで行けて便利ですので、私もそうですが、けっこう長距離をバスで行く人がいます。 [ 今津っ子 ] 2010/08/27 2:12:00 [ 削除 ] |