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路傍の道標は土木工事などにより失われることが多いのですが、最近は、元の所有者や地域の努力により安全が保たれることが多く、嬉しいかぎりです。

昨年(2011年)、西宮市上ノ町にある2つの道標の内の一つが、居宅外構改装のために撤去されましたが、幸い、道標は近隣の方の敷地内に保管されました。

この道標は、尼崎から武庫川を越えて門戸厄神や甲山大師に参詣する人々に向けたもので、江戸時代はとても賑わった道だったそうです、





道標が元の位置にあった2010年の写真です。道標は角の花壇の中にあります。
普段、道標はプランターに隠れていましたが、この時は撮影のために所有者の方にお願いしてプランターを移動させていただきました。



撤去後、2012年の写真です。



一見すると別の家に見えるくらい変わっています。

現在、道標は移設され、大きな石の上に乗っています。



元は、道標の大部分が地中に隠れていて、かろうじて「左尼崎」「右厄神」と読める程度でした。



現在はすべての文字を読むことができます。







WEB上では現在の保管場所をお知らせできませんが、調査撮影はOKですので、なんらかの機会にご案内したいと思います。

********************

余談ですが、奥にある更に大きな石の上で、置き物のピエロが寝転がって道標をながめています。



なにか意図があってのことか、偶然の結果なのか、定かではありません。

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道標ではないのですが、知人の家(昭和40年代に移転してきました)の庭に、南郷山公園と紀元二千六百年の石柱があるそうです。現在の南郷山公園とは少し離れた位置になるので、昔そのあたり一帯が公園だったでしょうかといっておりますが...どこに公園があったかというのは、西宮市役所東館の情報公開室に行けば資料があるのでしょうか。
[ ふく ] 2012/06/04 9:53:23 [ 削除 ]
御覧のみなさん
一番上の地図で門戸厄神東光寺の寺の字あたりに笹舟倶楽部が有ります。
ルート散策の際は覗いてください。
貴重な一冊『甲東の文化財を訪ねて−石造物を中心に−甲東文化財保存会』が積読山頂上に置いてあります。
[ 笹舟倶楽部 ] 2012/06/04 14:27:38 [ 削除 ]
以前、調べた資料を紹介させてもらいました。トラックバックでご覧ください。
[ goh ] 2012/06/04 14:53:38 [ 削除 ]
★ふくさん。
本館7階の情報公開課が窓口になっています。
市役所内には歴史の専門職員はいませんが、協力はしてもらえます。
★笹舟倶楽部さん。
ごぶさたしております。
近いうちにお邪魔させていただきます。
★gohさん。
私も、荒木さんには大変お世話になっています。
道標に関しては神です。
[ 今津っ子 ] 2012/06/04 19:45:54 [ 削除 ]
ヒントの多い画像を見せていただきましたので場所は特定できると思うのですが、おそらく私有地ですよね。
おことわりすれば見せていただける、ということで宜しいのでしょうか。しかし知らないおっさんに訪ねて来られるのも迷惑な話ですよね(汗)。
自分のサイトに載せたものの訂正だけはしようと思いますが…。
[ 凛太郎 ] 2012/06/04 21:01:10 [ 削除 ]
★凛太郎さん。
所有車の名前は書きませんが、訪問はOKです。
旧位置から東に進むとすぐ左に竹やぶが見えます。
お屋敷を北に回り込むと、公道から道標が見えます。
調査や写真撮影だけなら、わざわざピンポーンを鳴らしてまでご挨拶していただかなくて結構とのことです。
[ 今津っ子 ] 2012/06/05 18:07:36 [ 削除 ]
ご教示ありがとうございます。それでは、近いうちに拝見させていただきに参ります。くれぐれも粗相の無いように致します。
[ 凛太郎 ] 2012/06/06 6:07:34 [ 削除 ]
★凛太郎さん。
了解しました。
この辺は、このところ田畑の宅地化が進み、徐々に風景が変わりつつありますね。
[ 今津っ子 ] 2012/06/08 20:10:47 [ 削除 ]
お世話になりました。拝見させていただいて参りました。記事はTB致します。
[ 凛太郎 ] 2012/06/10 17:56:01 [ 削除 ]
★凛太郎さん。
お疲れさまでした。
凛太郎さんもまたなにかに気付かれたら、是非お教え下さい。
[ 今津っ子 ] 2012/06/11 23:38:02 [ 削除 ]
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[ わいわいクッキング ]  移設された上の町の道標 2012/06/04 14:40:47
今津つ子さんの「移設された上の町の道標」を拝読して、数年前、尼崎の道標巡りを終えて、次は西宮の道標を
[ わいわいクッキング ]  移設された上の町の道標 2012/06/04 14:57:43
今津つ子さんの「移設された上の町の道標」を拝読して、数年前、尼崎の道標巡りを終えて、次は西宮の道標を
[ 凛太郎の自転車操業 ]  上之町の道標  2012/06/10 17:46:23
 今津っ子さんの記事にいざなわれて、移設された上之町の道標を拝見してきました。(= ̄▽ ̄=)V  詳

西宮流でもたびたび話題にのぼる「ラ・パボーニ」ですが、なかなか夙川にあった当時の良い写真を見かけません。
今の所、西宮市役所発行の「グラフにしのみや」昭和50年版に掲載されたカラー写真が最も鮮明だと思いますので紹介します。



「ラ・パボーニ」について、西宮流ではまず西宮芦屋研究所員さんが数回にわたり書かれました。

西宮芦屋研究所レポート

ついで、seitaroさんも数回にわたり取り上げておられます。

苦楽園から「文学散歩」

この写真の数年前に一度だけ行ったことがあります。
もう40年も前の話しですが。
当時からもう既に貫禄のあるたたずまいでした。
名物だったケーキをいただきました。

★追加★

seitaroさんのご教示により、跡地を見に行ってきました。

グラフ西宮の写真とほぼ同じアングルで撮ってみました。



まともに逆光で残念な写真になってしまいましたが、入口の花壇と2本のシュロは見事に残っていて、当時を彷佛とさせます。

今のところ空き地のまま放置されていますが、今後はどうなるのでしょう。

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そのケーキ、野坂昭如が戦後再び訪れた時、大石氏から昔ケーキを出してあげたでしょうと言われて、覚えがないと書いていました。現在の跡地には立派な2本の棕櫚と花壇の跡が残っていました。
[ seitaro ] 2012/01/27 9:52:16 [ 削除 ]
★seitaroさん。
小さなパウンドケーキだったような気がしますが、なにぶん昔のことなので定かではありません。めんぼくない。
跡形もなくなったと思い込んでいました。さっそく跡地を訪問してみます。
[ 今津っ子 ] 2012/01/28 9:47:21 [ 削除 ]
見比べると面白いですね。来週堂島のカーサ・ラ・パボーニに行きますので、跡地の話も伺ってきます。
[ seitaro ] 2012/01/31 9:44:07 [ 削除 ]
★seitaroさん。
是非ともその結果を教えてください。
[ 今津っ子 ] 2012/02/01 19:51:18 [ 削除 ]
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同じ西宮流の凛太郎さんが、甲子園口の栄徳稲荷の灯籠に「甲子園劇場」の文字を見つけられました。

もうひとつの「ちょっと歴史っぽい西宮」補遺編





現在、西宮市内にかつてあった多数の映画館の調査をすすめていて、「甲子園劇場」についてもおおよそのことが判明していますので、速報版として報告させていただきます。

昭和20年代から30年代にかけて、甲子園口の商店街の中に3つの映画館がありました。





昭和33年の『キネマ旬報』に、当時の甲子園劇場の写真が載っています。



現在はライフになっています。



昭和21年12月、神戸新聞に載った甲子園劇場の開館予告広告です。



映画全盛期、昭和31年の広告です。「甲劇」の略称で呼ばれることが多かったようです。



映画ブームも去った昭和40年の広告です。



甲子園口地区では最後までがんばっていた甲子園劇場も、この年の暮れには閉館しました。

【完】

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栄徳神社を通って駅に通いますが、ここに三つもの映画館があったとは初耳です。ずいぶん賑やかな街だったことが分かります。貴重なご報告ありがとうございます。

[ だんご ] 2012/01/05 17:50:34 [ 削除 ]
★だんごさん。
今よりずっと賑やかだった時期がありましたね。しかし、他の商店街にくらべて、まだまだ甲子園口はがんばっていると思います。
[ 今津っ子 ] 2012/01/05 21:23:52 [ 削除 ]
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あけましておめでとうございます。

新年はじめは、まず軽い話題から。。。

大晦日、浜田温泉前での風景です。

デジカメを持ち合わせていなかったのでオンボロ携帯での撮影です。
ボケボケですがご容赦ください。



浜田温泉は天然温泉で湯量も豊富なため玄関前にも沸き出し口が設けてあり、自由に利用できるようになっています。
湧き出たお湯は下に置かれた小さなバケツで受けているのですが、そのバケツを浴槽代わりにワンちゃんが大人しく入浴を楽しんでいます。



運がよければ見ることができます。

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今津周辺の歴史にふれることが楽しみになってきました!今年もよろしくお願いします!
[ ピース ] 2012/01/01 20:55:16 [ 削除 ]
★ピースさん。
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
[ 今津っ子 ] 2012/01/02 9:58:22 [ 削除 ]
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最近、甲武橋のたもと、新堀川上流にある不思議なトンネルについて、なにかと話題になっていますが、凛太郎さんの綿密な検証により、ようやく謎が解明されたようです。

夢見るだけなら自由やん

凛太郎さんの検証には地図が付いていませんので、私の方で追加させていただきます。

この付近の最古の地形図は、明治18年測量のものです。まだ甲武橋はありません。なお、参考までに現在の西国街道171号線を赤い点線で記入してあります。



なお、甲武橋の交番脇の坂道を下るとトンネルが見えるわけですが、この坂道は「宮の通い」と呼ばれる古い道で、荒木町から高木を経て西宮や今津にいたるこの地区の主要道路です。以前、紹介記事を書いたことがあります。

阪神間の街道を歩く「宮の通い」

今津から徒歩あるいは自転車でコスモス園や鬚の渡し、さらに尼崎の西武庫地区に行くにはとても便利な最短コースで、私は今も時々利用します。

続いて、凛太郎さんが触れられた明治42年測量の地図です。



甲武橋架橋直後と言うことで、凛太郎さんも書かれている通り、西国街道と甲武橋を結ぶ道は整備されておらず、里道を利用し、さきほど述べた交番脇の坂道を上るようになっています。

大正時代に西国街道と甲武橋を結ぶ新道が建設されましたが、それを示す最古の地図は大正12年測量の地形図です。図書館には昭和4年修正測図しか無かったようですが、市役所本館7階情報公開課には大正12年測量の地形図もあります。



「西国街道(新設部分)」と記入した道が、今回、凛太郎さんが歩かれた道です。問題のトンネルはこの道の盛土部分をくぐるためのものであったことが分かります。

この時の甲武橋が、現在の橋のすぐ南、つまりトンネルの延長線上にあったことを明確に示す地図が、情報公開課にあります。

昭和22年修正測図(31年行政区画修正)です。



最近架け替えられたすぐ下流の上武庫橋でもそうですが、全く新しく橋を建設する場合、古い橋を残したまま、すぐ横に架橋されます。(でないと、工事中、全く川を渡れなくなります)

この地図はまさにその新しい橋が出来上がる直前の状態を示しています。甲武橋新設時とは逆に、道路建設が先行し、架橋が遅れたことになります。

最後に、既に述べた道が現在のどの道にあたるかを示します。



-----------

【補足】

古い橋の横に新しい橋を架ける話ですが、みなさんがご存知の橋で確認します。

その橋は国道2号線が新淀川(現在は単に淀川と改称)を渡る「淀川大橋」です。この橋が開通した大正15年8月2日の写真です。新旧の橋が写っています。



新しい橋を渡っているのは渡り初めの行列で、一般の利用者は、まだこの時は古い橋を渡っているようです。

では、新しい「淀川大橋」架橋工事が始まる前は、どうであったのか。



大阪方面から西を見た写真です。建設中の国道2号線は新しい「淀川大橋」に繋がるように作られていますので、元の橋(「西成大橋」と言います)と大きく食い違っています。

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地図の変遷を並べるとなおいっそうわかりやすいですね。
ありがとうございます。
[ にゃんこ ] 2011/11/17 10:32:51 [ 削除 ]
とても良く分かりました。
私の家からは(市民運動場近く)結構正しい道を辿ったようですね。

[ フラモニ ] 2011/11/17 18:52:29 [ 削除 ]
どうもありがとうございました。
「綿密な検証」というのはこういう記事が該当するのであって、僕はただ現地に行っただけです。しかも、大正12年地形図、昭和22年修正測図で僕が「思います」と書いた部分が見事に証明されています。うわ、アタシはもう今津っ子さんの手のひらの上で踊っていたようなものです(笑)。
大正時代の地図は見たかったんですよね。トンネル図示してありますね。「情報公開課」か。市役所はハードル高いからなぁ。なんせよ当方綿密ではありませんで(汗)。
旧甲武橋落ちる前に171出来てたのですね。「証拠地図」ですねまさしく。
此度は本当にお世話になりました。
あのそれから細かいことで恐縮なのですが…司馬遼さんなどとても名乗れません。凛太郎ですすみません(汗)。
[ 凛太郎 ] 2011/11/18 5:46:13 [ 削除 ]
★にゃんこさん。
今回は変遷の分かる地図が市役所にそろっていたので、本当によかったと思います。
★フラモニさん。
そのようですね。私もコスモスが見ごろのうちにもう一度歩いてみたいですね。
★凛太郎さん。
お名前を間違えるとは、本当に失礼しました。最近、老眼が進み、字画の多い漢字がちょっと苦手になりましたが、気をつけるように注意します。
市役所7階の情報公開課は敷居が低いですよ。スタッフのみなさんもとても親切です。7階に無い資料でも、あちこち探してくれますので、とても助かります。
同じことを調べても、書く人の人柄によって読者の印象は変わります。今回の調査も、凛太郎さんの軽快で読みやすい文章だからこそ、フラモニさんが「わくわくドキドキ」されたのではないでしょうか。
今後とも凛太郎さんの楽しい調査を楽しみにしています。
[ 今津っ子 ] 2011/11/18 7:46:49 [ 削除 ]
見事な解説、感服しました。
[ imamura ] 2011/11/18 8:50:14 [ 削除 ]
★imamuraさん。
私の解説は付け足しのようなもので、今回は凛太郎さんの楽しいレポートに拍手したいと思います。。
[ 今津っ子 ] 2011/11/19 8:39:35 [ 削除 ]
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11月12日(土)、「西宮まちたび博」の『古地図でめぐる西国街道』が行われました。

門戸厄神から歩き始め、段上町を経て西国街道を南下し、広田神社、越水城跡から西宮神社にいたるコースで、約5時間のウォークの間、「さくらFM」が実況中継するという大規模な行事でした。

ウォークのレポートの前に、私、今津っ子にとって、とても嬉しいことがありましたので、まずその報告をさせていただきます。

参加者には、コースなどを知らせるパンフレットが配付されました。A3の両面にフルカラーと言う、この種のイベントでは破格の豪華のもので、コースを示した書き下ろしのきれいな地図と、古地図4図が印刷されています。





その4枚の古地図のうち2枚が、私のもう一つのサイト「阪神間の街道を歩く」の中の「古文書保管庫」からの引用でした。



きちんと「<阪神間の街道を歩く>サイトより転載」とクレジットされています。

「古文書保管庫」は、既発表未発表を問わず、古文書や古絵図を、誰でも利用できるよう、かつ文字を判読できるサイズで提供することを目的に3年前に始めました。現在は西宮市立郷土資料館と広田神社のご厚意で撮影させていただ12枚の古絵図を公開しています。引き続き、門戸厄神資料館や尼崎市立地域研究史料館所蔵古絵図の公開も予定しています。今回、このような形で利用していただけ、とても光栄です。

なお、パンフレット裏面に掲載された『西宮古地図』も、手を抜かず、ベストのコピーを使用しています。



この西宮を描いた江戸時代最古の絵図は模写のみ現存し、『老の思ひ出』には、その模写を印刷用に模写したものが掲載されました。さらに、『西宮市史』には、『老の思ひ出』を更に模写したものが付図として添付されました。

ところが悲しいことに西宮市立図書館にある4冊の『老の思ひ出』は、いずれもこの地図が切断されてしまっており、コピーをとることができません。普通なら、簡単に入手できる『西宮市史』からのコピーでお茶を濁すところですが、今回は西宮神社蔵の『老の思ひ出』からコピーしたとのこと。立派です。

さて、ウォークのレポートです。

門戸厄神での出発式です。市長のあいさつもありました。
このあと、参加者約130名が、4つの班に分かれて順次出発しました。



前半の甲東地区は、主に、かつて西宮市史編纂室や郷土資料館におられ、現在は門戸厄神資料館の館長の大崎正雄さんが解説役を担当され、要所要所で、同行の郷土資料館館長西川卓志さん、スタジオの郷土資料館課長補佐の合田茂伸さんの補足解説がありました。



甲東地区から広田地区に入ると、西川館長がメインの解説者になりました。また、スタジオには日野神社熊野神社宮司の宮崎浩史さん(『西宮の道標』の著者、故宮崎延光さんのご子息)も加わり、興味深い話をたくさんされました。



出発より約4時間半、まもなく西宮神社に到着です。



時節柄、神社は七五三で大賑わいです。



大勢のスタッフやボランティアの方々の努力のおかけで大きなトラブルも無く、とても有意義な一日を過ごすことができました。

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おじゃまいたします。

わたしも昨日「さくらFMウォーク 古地図でめぐる西国街道」に参加させていただきました。
わたしも(?)先頭のAグループでしたが、最後尾あたりをのんびりと歩かせてもらいました。
途中から暑いぐらいになったので、Tシャツ姿になってしまいました。
門戸厄神から廣田神社にいたる前半のルートは、ほとんど土地勘がなく、庚申塔やら尼崎藩領界碑など、しげしげとながめいってしまいました。
昼食あとの越水井戸も、隠れるようにあんな場所にあるなんて!
”「阪神間の街道を歩く」サイトより転載”の表記の気づいたときは、「はて、どこかで目にしたような?」と首をひねっておりました。
いただいた「みやたん」のクリアフォルダーにはさんで大切にさせていただきます。

往時に思いをはせながらのウォーキング、わたしにとってもとても楽しい週末となりました。

[ 373 ] 2011/11/13 7:04:01 [ 削除 ]
お元気で活躍されているようで嬉く思っています(*^_^*)
[ ショコママ ] 2011/11/13 18:12:28 [ 削除 ]
★373さん。
「みなみ」とお読みするのでしょうか?
天候にめぐまれて、ほんとうに快適なウォーキングでしたね。
また機会があれば参加したいと思います。
★ショコママさん。
入院中の健康的な生活で体力がつきましたので、当分は元気でしょう。ガハハ。
[ 今津っ子 ] 2011/11/13 19:58:26 [ 削除 ]
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[ てもちぶたさん ]  私も西国街道めぐりへ 2011/11/13 11:34:37
昨日11/12のまちたび博の「古地図でめぐる西国街道」へ参加しました。   ウチから門

今回はのんびりとハイキングを楽しむつもりで参加したのですが、パンフレットに書かれていた未知の情報を目にして、やはり今回も最後は調査になってしまいました。

パンフレットに「目神山町6に、昭和45年(1970)頃まで茶屋があり、神呪寺への参詣者やハイカーに利用されていた。現在は駐車場で、東南隅に地蔵の祠がある。」と書かれています。

甲陽園駅の方に下山するコースに当たると言うことで歩いていると、運良く、この茶店の情報を寄せられた調査団の方々と一緒になりました。

元、茶店があった駐車場です。



東南隅の地蔵の祠です。



現在の周辺地図です。



同行してくださった目神山町在住の調査団の方が母親から聞いた話として、この茶屋は小川さんの経営で、「小川茶屋と呼んでいたのだそうです。

現在手に入る最も古い昭和33年の住宅図を見てみます。



角は笹倉さんですので、茶店は角から2軒目と言うことになります。
また、茶店跡は駐車場ではなく、現在の小川宅のようです。

しかし、なにより目を引くのが小川宅が道をふさぐようになっていることです。
芦屋の高座の滝の茶店のように、茶店の中を道が通っていたのでしょうか。
また、南隣の「楽々庵(?)」(山の家)も気になります。

8年後の昭和41年の地図では、もう道をふさいでいませんし、島津宅が増え、逆に山の家は消えています。しかし相変わらず付近に家はありません。



その後急速に宅地化が進んだようで、6年後の昭和47年には周辺に家が増えています。



昭和57年の地図によると北隣の2軒が納屋になり、更に後に現在のように駐車場になったことが分かります。



いつもそうなのですが、1つ謎が解けると、ひきかえに新しい謎が倍になって増えます。
今回もまた解明すべき宿題が発生してしまいました。

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佐藤光司郎さんとこ、そこやったんですか。行ったことはなかったもので。毎年、大峰山にも一緒にお参りした人で、うちの隣の地蔵堂の落成式にも来賓で来て頂きました。
[ imamura ] 2011/10/25 9:30:39 [ 削除 ]
★imamuraさん。
やはり、市会議員だったあの佐藤光司郎さん宅ですか。
趣味つながりで亡父が懇意にしていたので、懐かしい名前です。

[ 今津っ子 ] 2011/10/27 18:55:36 [ 削除 ]

佐藤光司郎さん、ご住所は目神山でしたので間違いないですね。
初めは市会議員さんでしたが、のちに県会議員さんでした。
趣味といえば囲碁でしょうか?大峰山の旅館でも打っておられました。
[ imamura ] 2011/10/28 20:38:11 [ 削除 ]
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広田神社から御手洗川沿いに進み、六軒の「甲山大師」道標前で説明がありました。



「みたらし通り」を離れ、少し坂を上って大師道交差点に。ここにも2基の道標があります。



更に坂を上って、甲山森林公園に到着。ここでランチタイム。



昼食後、いくつかの丁石を見た後、甲山八十八ヶ所の第1番札所で調査団の方による説明がありました。



ここから、広いバス道ではなく、旧参詣道を通って神呪寺をめざします。



ゴールの山門前で一応解散。自由行動になりました。



私は、かつて女神山町に茶店があったとの情報を得たので、そちらを目指して出発。

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西田公園から少し坂を上って大社小学校横の越水城跡へ。



「越水(古くは小清水とも)」の名前の由来とも言われる湧き水のうち、今も残っている「ニシンジョ」と「ヒガシンジョ」の井戸を見学。



旧西国街道を通って、広田神社の馬場先(参道の入口)に到着。



松並木の参道が鋪装されず地道のままであることに感動しておられる方がおられました。



広田神社門前で休憩してから、いざ甲山へ。


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10月22日、西宮市立郷土資料館の歴史ハイキング「西国街道から大師道」が行われました。

9時30分、阪急夙川駅前に集合です。



資料館の女性スタッフ総出でお出迎えです。今回は40名ほどの参加者がありました。



阪急電車沿いに歩いて、最初の目的地、西田公園に到着。

ポイントごとに、資料館スタッフ、西宮歴史調査団や地域の方々により解説があります。

西田公園の「旧西国街道跡」の石碑の前では、まず調査団の方により、西国街道が西田公園の中を通っていたころの話がありました。



この解説の中で、江戸幕府は伏見西宮間を「山崎街道(=山崎通)」と呼んでいたと言う説明があって驚きました。幕府の公式資料によれば確かに「山崎通」は伏見西宮間なのですが、『西宮市史』はじめ一般の方々の目に触れる書物には、西国街道の前身の山陽道と混同して、京都発のルートが江戸幕府認定の街道であるかのように書かれているからです。

調査団の方々の博学ぶりには感心しました。

西田公園では、越水山遺跡の説明もありました。

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あらら、いらっしゃったんですね、私も参加してました!
[ にゃんこ ] 2011/10/23 9:22:49 [ 削除 ]
ありゃま(@_@)
お顔がわかっていれば一度お会いしたかったので残念です。
みなさんがお話を聞いておられる時に、いつも少し離れて資料館のスタッフのみなさんとおしゃべりをしたり写真を撮ったりしていたのが私です。
ふまじめな参加者でめんぼくない。
[ 今津っ子 ] 2011/10/23 11:20:40 [ 削除 ]
もしや大師道道標の埋められた字を掘りかえす話をしていた
赤いチェックのシャツの方でしょうか?
私は上の写真四枚目の真ん中の黒リュックの者ですので、
一番札所説明の写真を載せるときには顔ぼかしでよろしくです(笑)
[ にゃんこ ] 2011/10/23 12:45:11 [ 削除 ]
ピンポーン!!!!
そのシャツの爺さんがボクです。
次回お会いできたときは是非声をかけてください。
顔ボカシの件、了解しました。ご安心を。
[ 今津っ子 ] 2011/10/23 19:34:14 [ 削除 ]
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[ てもちぶたさん ]  甲山へ歴史ハイキング 2011/10/23 11:01:09
昨日土曜日は歴史ハイキングの日だったのですが、きっと雨だろうと思って 金曜の晩に寝て土曜朝起きると

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今津っ子 

変わり行く今津の風景の中に、今も残る昔の面影を探します。

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