西宮流からログを保存する際のミスのため、このページのみレイアウトが見苦しくなっています。
また、皆様がお書き下さったコメントも消失してしまいました。
申し訳ございません。


アキ、カトレヤ、リーベ★西宮北口南出口前

2011/12/16 21:51:14

今回は阪急西宮北口駅南出口前の喫茶店です。





★喫茶アキ

古くからあった老舗です。
マッチに店の外観が描かれています。






★カトレヤ






★リュー→リーベ

球場方面に向う裏道にありました。



40年代に入り、店名が「リーベ」に変わりました。





駅前の割に静かでよかったのですが、40年代中頃には焼鳥屋になってしまいました。

スワン、エル★西宮北口西出口前

2011/06/10 21:42:40


今回は阪急西宮北口駅西口です。

昭和30年代には、この地区に喫茶店は2軒しかありませんでした。と言うより、そもそも駅前にお店自体すくなく、ほとんどが民家でした。40年代に入るや表通りは商業地区化しましたが、それでもまだ民家の方が多い静かな地区でした。





広告マッチを持っている喫茶店を2つ紹介します。



★喫茶スワン

当時よくあった、席数の多い中規模の喫茶店でした。
別のタイプのマッチもありました。



もう一軒、同じような規模の喫茶店「ニューナポリ」もありました。



★エル

こちらは、こじんまりした店で、ビルの中のテナントでした。

後に、料理メインの店になりました。確か、名前も「ビストロ・エル」に変わったと思います。

コンコード★葡萄ジュースが美味しかった




三宮のど真ん中でありながら、山の中のロッジにいるような感覚になれる喫茶店でした。





2階建てで、1階にはカウンター席がとテーブル2つ、2階はテーブル席のみ5つ。。。と言っても私はよく覚えていなかったのですが、当時の店内をイラスト付きで紹介しておられる方がおられ、その方の受け売りです。テーブルとイスは全て渋い色の木製で、狭い店内に結構ギューギュー詰めだったのにもかかわらず、なぜか居心地がよかったような気がします。、

HAYASHI-NO-KO

もう1種類の広告マッチには、カウンター部分のイラストが描かれています。



「コンコード」の名物は、手作りの葡萄ジュースでした。これを目当てに通った常連さんも多かったようです。そんな思い出を書いておられる方もおられます。

ですぺら掲示板

今回調べてみて始めて知ったのですが、葡萄の品種に「コンコード種」と言うのがありました。恐らくここから店名を「コンコード」したようです。

私は、どちらかと言うと落ち着いた店の雰囲気と、上品で優しいママさんがお気に入りで通っていました。

ところで、コンコードは一時期、摂津本山の駅前にも店を出していました。



三宮の店はだれかに任せ、ママさんが本山店のほうにおられました。店の作りは三宮とは全く違い、普通の喫茶店でした。ママさんから、なにかのいきさつがあって引き受けたと聞いたような気がします。

バンビー★中島らももデートしたジャズ喫茶

紹介した「さりげなく」と同様、三宮にあったもう一軒のジャズ喫茶「バンビー」です。



場所は阪急三宮駅のすぐ北側。大通りには面してなくて、路地を入ったところにありました。





村上春樹が通っていたことは前回の通りですが、「バンビー」の方には、故中島らもも通っていました。

当時の思い出を夫人が語ったインタビュー記事が神戸新聞(デートは三宮のジャズ喫茶 中島らもさん七回忌)に掲載されています。
らもさんは1952年尼崎市生まれ。同市立七松小、4年生からは神戸市立本山第一小で学び、名門・灘中学に8番の成績で入学した。当時からよく遊んだのが東灘区の保久良山(ほくらさん)。ここは美代子さんとの初キスの場所でもある。
 出会いはらもさんが灘高3年、美代子さんが神戸山手女子短大1年のとき。三宮のジャズ喫茶「バンビ」や「ニーニー」で、音楽鑑賞を妨げぬよう“筆談デート”を重ねたという。美代子さんは「文学部で司書を目指していた私が、本や音楽の知識で太刀打ちできなかった。詩を書いてバンドをやってたから、ミュージシャンになるかと思ってたけどね」と、その早熟ぶりを物語る。


「バンビー」は大阪の北と南にもあったそうで、特に東通りにあった北の店は最も遅くまで営業していましたので、知る人が多いようです。

大阪店の広告マッチは次の2つのサイトで見ることができます。

JAZZ喫茶のマッチ・バンビー 70年代後半の懐かしのジャズ喫茶のマッチをいろいろ紹介。

大阪ジャズ喫茶のマッチ−なつひこ、ワッチ、ジョーク、オアシス、ファンキー、バンビー、タイム、ルジューヌ−テーゲー館


神戸と大阪は系列店だったようで、マッチに共通点が2つあります。

1.マッチには「バンビ」ではなく、「バンビー」と表記されていること。
2.「バンビー」の字体がほぼ同じであること。

神戸「バンビー」がどんな店であったか、まったく記憶がありません。
めんぼくございません。

[追記]

大阪の「バンビー」についても記憶がないのですが、大阪の広告マッチも出てきましたので、どうやら行ったことがあるようです。とりあえず広告マッチを掲載しておきます。


さりげなく★村上春樹も通ったジャズ喫茶


かつては、よく喫茶店等のレジの横にその店の広告を印刷したマッチが置かれていました。個性あふれるデザインも多く、見ているだけでもとても楽しいものでした。
そんなわけで、なんとなく集めていたコレクション(?)が先日出てきましたので、紹介していきたいと思います。

まずは、三宮にあったジャズ喫茶「さりげなく」です。



場所は高架の北の通り、トアロードとの交差点近くです。





狭い階段を降りた地下にありました。広くはない店内に、巨大なスピーカーから大音響のジャズが流れていましたから、普通の喫茶店のように会話を楽しむという人はおらず、ひたすら音楽を楽しむ場でした。

調べてみると、高校生時代の村上春樹もここに通っていたことが分かりました。

ブログ「東京紅團」の《村上春樹の世界》神戸、東京のジャズ喫茶を歩くによると
村上春樹の「ジャズ喫茶を歩く 神戸編」を掲載します。村上春樹氏インタビュー記事が掲載されている「jazzLife」の1982年6月号臨時増刊を手に入れることができましたので、この中の記事を参考にしながら神戸を歩いてみました。

(中略)

──村上さんは関西の御出身ですけども、高校時代にジャズ喫茶に通いはじめたんですか?

村上:ええ、行きましたね。あんまりポピュラーじゃなかったんですけど。

──当時だと“さりげなく”(店の名前)ですか?

村上:“さりげなく”は高校出てからできたんです。それまでは“バンビ”というのがあったんですよね。

──山手界隈とか三ノ宮のあたり?

村上:三ノ宮駅の近くでした。ちょうどね、マイルスの『イン・ヨーロッパ』とか、コルトレーンの『ブルー・トレイン』とかあの辺ですね。

──いつ頃からそういうものを聴き始めたんですか。

村上:中学3年の時にアート・プレイキーを聴いて、レコード買うようになって、高校に入ってからジャズ喫茶に行くようになりました。…」。
私と時代は重なりますが、特にジャズファンと言う訳ではない私は、どちらかと言うとお洒落な雰囲気を楽しむために時々通った程度でしたので、村上春樹と接近遭遇した可能性は低いと思います。

[追記]

テーゲー館館主さんが「プレイガイドジャーナル1973年3月版」に掲載の「さりげなく」紹介記事を提供してくださいました。ありがとうございます。