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武庫大橋駅から旧国道までの区間は民間に売却されて住宅が建ち、鉄道の線路だった時代の面影はありません。



旧国道のすぐ北は現在工事中です。





旧国道をくぐるトンネルは残っています。



旧国道から南は現在も鉄道用地として使用されています。



架線も張られています。



踏切りから北を向いて撮影した写真です。2本の線路のうち西側はレールも整備され、引込み線として使用されていますが、東側の線路はレールも曲がり、放置されたままです。



武庫川線と阪神本線をつなぐ線路が見えてきます。



武庫川線で使用される電車は、毎朝早朝に尼崎から「出勤」し、深夜に「帰宅」します。尼崎から来た電車は、そのままでは武庫川線に入れませんので、一旦甲子園まで行き、折り返して武庫川まで戻ってきます。

かつて、単行(1両だけ)の電車が走っていたころ、武庫川線に入るにはとても手間をかけていました。

当時は脱線事故予防のためにポイントは逆向きに設けられていましたので、本線上を甲子園から戻ってきた電車はポイントを行き過ぎてから停車します。そこで添乗して来た助役が電車から降りて備え付けの電話で指令所に連絡してポイントを切り替えてもらいます。ようやく引込み線に入ると、折り返して坂を下って武庫川線に向います。そこで再び折り返してようやく武庫川線のホームに入ります。

ところが、昭和59年に武庫川団地駅まで線路が延びて電車が2両編成になると、折り返すスペースが足らなくなりましたので、本線からそのまま引込み線に入るよう変更し、折り返しは1回だけに簡素化されました。



なお、現在、本線の武庫川から甲子園までの区間の高架化工事が進行中ですが、工事の末期にはその引込み線自体のスペースが無くなり、武庫川線の線路は本線と分断されることになっています。

そうなると、工事が完了して再び線路がつながるまでの期間、電車は車庫に帰ることができずに武庫川線内で長期「お泊まり」になり、しばらくは「出勤」「帰宅」風景は見られなくなります。

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武庫大橋駅からは阪神電車の正式な営業区間で、昭和19年8月から終戦まで実際に電車が走りました。



昭和27年の地形図では、線路は記入されているものの、既に営業を休止していた武庫大橋駅は描かれていません。



2号線の武庫大橋西詰め南側に近年まで武庫大橋駅に関係すると思われる廃虚が残っていましたので、見覚えのある方も多いと思いますが、今では跡形もなくなっています。



2号線からホームのあったところを見下ろしてみます。



『グラフにしのみや'80』(昭和55年)にまだホーム跡が残っていたころの写真が掲載されています。



写真右にホームが写っていて、線路も残っています。更にその先には2号線をくぐるトンネルと2号線沿いの建物が見えます。

このホームと線路は西宮から来た省線の列車が利用しました。一方、阪神の電車は左にもう一本あった線路とホームを使いました。

現在は道路と住宅になり、トンネルは埋めらました。



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昨年までこの辺りに住んでいたので
武庫川の河川敷を通るのに
見慣れた風景です。

阪神武庫川駅から北へ線路があった面影がありますよね!

今は武庫川駅から南の方へ引越しましたが
武庫川線は近所なので
乗ってみたいです!
確かワンマン車両でしたよね^^
[ ピーチ姫 ] 2011/03/12 10:48:25 [ 削除 ]
★ピーチ姫さん。
はい、ワンマンです。
都会に居ながらにしてローカル線気分が味わえます。
武庫川団地駅に着いたら、駅前スーパーの美味しい焼き立てパンを食べから帰ってくるのがお奨めです。
[ 今津っ子 ] 2011/03/12 19:33:20 [ 削除 ]
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武庫川線は甲子園口駅の東側でJR線から分かれて武庫川の堤防下を南に向います。

実は、西宮駅から2号線の武庫大橋までの区間は、阪神電車が特許を取得して実際に線路が敷かれて列車が運行されたにもかかわらず、法的には未開業区間の扱いになったままJR(当時は省線)が列車を走らせると言う、戦時中ならではの特殊な形がとられました。



西宮駅から甲子園口駅までの区間は戦後まもなく特許が失効しましたが、甲子園口駅から武庫大橋までの特許は昭和60年まで残っていましたので、昭和27年の地形図にはまだ線路が描かれています。



新堀川のトンネルのすぐ東で線路がカーブを描きながら高架から下っていく部分は、近年、敷地が売却されてマンションになりましたが、今でも石垣が少し残っています。



マンションの先は遊歩道になっています。



かつて枝川が分岐していたあたりでは、道路改良のために線路跡が途切れています。



まもなく2号線の武庫大橋駅に達します。





枝川分岐跡から先はフェンスで囲まれてい立ち入ることはできません。



武庫大橋側から振り返ってみます。



森のように見えるところが旧甲子園ホテル(現武庫川学院甲子園公館)です。枝川が締め切られて廃川になった直後の昭和4年修正地形図を見ると、ホテルが旧堤防上に建てられたことが分かります。



ちなみに、武庫大橋までの区間は、JRの列車のみが利用することになっていたため、レール幅は阪神電車規格の標準軌(1435mm)ではなく狭軌(1037mm)で敷設されていました。

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JRの新快速に乗っていると、駅ごとにホームを避けるために線路が少し外側にカーブしているのに気付くと思います。しかし、甲子園口駅の下り線、つまり神戸行きの線路は他の駅に比べて異常に大きく曲がっています。

神戸行きの新快速の最後部から大阪向きに撮った写真です。



実は、これが武庫川線の名残りなのです。

甲子園口駅も、かつては他の駅と同じような配線でした。ところが、昭和39年のダイヤ改正で大阪方面から来た普通電車のうち半分近くが甲子園口で折返すことになりました。そこで、旧武庫川線の線路スペースを生かして配線を変更し折返し専用ホームが設けられました。



従来、神戸方面行きの普通が使っていた線路はホームの先で締め切られました。



そして、神戸方面行きの普通は1本南の線路を使用し、更にその南にあった旧武庫川線の線路を復活して、現在の新快速等の通過列車が通るようになりました。

ところで、甲子園口には、もう一つ旧武庫川線の遺跡が残っています。

駅のすぐ東、線路が新堀川を越える箇所には、川とその東西の道路を通すために3連続のトンネルが設けられています。

これらのトンネルは、元々レンガ造りのアーチ状トンネルでした。トンネルの北側には今もきれいに残っています。



一方、南側には武庫川線の線路が追加されましたが、なにぶん戦時中の突貫工事のため両側の道路用トンネルは四角い簡単な形になってしまいました。



このような事情で、一見四角いトンネルなのに、線路1本分奥からはアーチ状のトンネルに変わるわけです。



ちなみに、この絶えず水の流れる新堀川は、今津地区に入ると新川と名前を変え、とても同じ川とは思えない風景になります。

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阪神武庫川線、西宮まで行ってたのですね〜。
武庫川の道路沿いに廃線の線路が少し残っています。
南の方は以前の方が活気があったのでしょうか?
[ 美保 ] 2011/03/03 23:28:50 [ 削除 ]
いやあ、面白いですねえ。よくお調べで。
レンガ作りのアーチ、きれいです。
レンガ構築物は地震後、すっかり姿を消しました。残念なことです。
[ imamura ] 2011/03/07 19:10:13 [ 削除 ]
★美保さん。
今の武庫川団地付近は戦前から近年まで一大工場地帯でした。
戦後の武庫川線は洲先止まりで不便なため、通勤の足はバスが中心で、甲子園からだけではなく、尼崎方面からもたくさんバスが出ていました。
★akaruさん。
確かに、かつてはあちこちで見かけたレンガ造りの建物や構造物も、めっきり減りましたね。
またどこかで見つけたら紹介していきたいと思います。
[ 今津っ子 ] 2011/03/07 19:54:47 [ 削除 ]
このトンネルもよく通ります!
レンガ作りでレトロですよね!
壊さずに保存して欲しいです。

それと西ほうに行くと
高架下に
低いトンネルがありますよね?
あれは、もともとトンネルとして作られたんじゃ
無いと聞いたことがあるのですが
今津っ子さんはご存知でしようか?

[ ピーチ姫 ] 2011/03/12 10:53:22 [ 削除 ]
★ピーチ姫さん。
駅の少し西にあるトンネルは元々小川を通すためのもので、後に板を貼って人も通れるようにしたものです。
なぜか西宮では「マンボウ」と言って、確か3本あったと思います。
一番西、エベッサンの北にあるのが一番有名で、谷崎潤一郎の『細雪』に登場します。
甲子園口にあるのは、一番背が低いですね。
私、身長172cmですので、ここを通ると腰が痛くなります(^_^)
[ 今津っ子 ] 2011/03/12 19:24:17 [ 削除 ]
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阪神の武庫川線と言えば、武庫川駅から武庫川団地前までの2kmに満たないいわゆるローカル線ですが、昭和19年の全線開通時にはかなり様子が違っていました。



戦時中、現在武庫川団地になっている地には軍需工場である川西航空機があり、その従業員は2万人を越えていました。そこで、阪神本線および阪神国道線からの通勤客を運ぶと共に、省線(現在のJR線)から工場への貨物輸送のための路線が計画されました。
なにぶん戦時中のことであり、武庫川から洲先(現在の武庫川団地前)は着工からわずか4カ月後の昭和18年11月に営業を開始、昭和19年8月には武庫大橋まで開通、更に11月には西宮から洲先間全線の営業を開始しました。

ただし、阪神が電車を使って旅客輸送をしたのは武庫大橋〜洲先間だけで、西宮〜武庫大橋間は阪神としては開業せず、敷かれた線路を利用して省線が貨物輸送をするという形態でした。

せっかく突貫工事で建設した武庫川線ですが、翌昭和20年には工場も線路も被災して全線営業を休止しました。敗戦3年後の昭和23年に武庫川から洲先(開業時から北に移動した現在の位置)の営業を再開しましたが、西宮〜武庫大橋は、一時的に貨物輸送のみ再開したようですが、そのまま休止状態が続き、やがて正式に廃止されました。



当初の起点である西宮駅からたどってみます。

西宮〜甲子園口間は、元々上り2本下り2本の4本の線路がありましたが、武庫川線はその南に1本追加する形で建設されました。

西宮を出てすぐ、阪急今津線高架の西の旧津門川に架かる短い鉄橋を阪急電車車内から撮影しました。4本の線路の南に、今はレールが敷かれていない武庫川線の鉄橋が残っています。(写真、矢印の箇所)。



鉄橋をアップで見てみます。



更に、同じく阪急電車から東を見ると、朝日ビール工場と線路との間にもレールが撤去された線路跡がはっきり確認できます。



実は、西宮駅から朝日ビール工場との間には元々線路が敷かれていて、武庫川線の休止とは関係なく昭和61年に国鉄の貨物扱いが廃止されるまで貨物輸送に使われていていました。写真の木が植えられている所がかつての貨物ホームです。



省線の貨物列車だけが通る西宮〜武庫大橋は架線が張られておらず、蒸気機関車が走っていました。そのために現在の中津浜線の高架のすぐ東に、給水塔が設けられていました。

この給水塔は近年までそのまま残っていて、『グラフにしのみや'80』(昭和55年)に当時の写真が掲載されています。



現在でも塔の鉄骨と土台は残っています。



塔のあった場所は「甲子園口SL公園」となり、塔自体も西宮市の手によりモニュメントとして整備されています。



続く。。。

阪神武庫川線 | コメント( 2 )

長年、あまり深く考えてこなかったですが、西宮の謎の風景が今津っ子さんのおかげで徐々に解けてきました。武庫川堤西側の錆びた線路、アサヒビール工場北側プラットホームなど気が付かないまま亡くなってしまって、西宮芦屋研究所員の記憶からも消えかかっていました。なお、阪神の武庫川線には、なぜか未だに乗ったことがないので、一度乗ってみます。
[ 西宮芦屋研究所員 ] 2011/01/27 18:14:46 [ 削除 ]
★西宮芦屋研究所員さん。
武庫川線はとても西宮市内とは思えないのんびりした線です。
終点の武庫川団地駅で降りられたら、構内のスーパーに入っているパン屋さんで休憩してみてください。パンがおいしいですよ。
[ 今津っ子 ] 2011/01/28 18:22:44 [ 削除 ]
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変わり行く今津の風景の中に、今も残る昔の面影を探します。

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