尼崎方面から甲山神呪寺(通称、甲山大師)および門戸厄神にお詣りする人々が利用した参詣道です。
江戸時代から明治時代にかけて参詣客で賑わった街道も、昭和に入り、鉄道網が発達するに共に衰退し、今ではあちこちで寸断されて街道としての機能は失われました。
なお、尼崎市域では参詣道であると同時に、地域の生活道路としての性格も強かったようで、『武庫郡誌』(大正11年)の大庄村の里道の項に「武庫村の内守部村より出でて、鐡鉄道東海道線を横切り本村(=大庄村)に入り、今北村東端を過ぎ、丁餘にして東折し、濱田村に入り、蓬川西堤となり、蓬川橋にて國道に會するもの是なり。是本村北部住民の尼ヶ崎に通ずる主要道路にして、此の延長29町26間なり。」と記述されています。 |
【道標】 |
この街道の特徴として道標の多さが挙げられます。
現存またはかつて存在が確認されていた道標だけでも17基に及びます。 |
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No |
所在地 |
西北向き行先 |
東南向き行先 |
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1 |
尼崎市浜田町 |
門戸厄神、かふと山 |
尼ヶ嵜 |
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2 |
尼崎市南武庫之荘 |
か婦と山、にしの宮 |
ーーー |
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3 |
尼崎市南武庫之荘 |
門戸厄神、かふと山 |
尼嵜、大阪 |
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4 |
尼崎市南武庫之荘 |
か婦と山 |
大坂 |
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5 |
西宮市上之町(旧所在地) |
厄神明王 |
尼ヶ崎、大阪 |
現所在地不明 |
6 |
西宮市上之町 |
厄神明 |
尼嵜、大 |
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7 |
西宮市若山町 |
厄神明王 |
尼大阪 |
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8 |
西宮市下大市東町 |
厄神明王 |
尼嵜、大阪 |
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9 |
西宮市下大市西町 |
厄神明王 |
尼崎、大坂 |
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10 |
西宮市下大市西町 |
か婦と山観音 |
ーーー |
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11 |
西宮市門戸東町 |
厄神 |
尼大坂 |
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12 |
西宮市門戸西町 |
やくじん王 |
ーーー |
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13 |
西宮市門戸西町(旧所在地) |
厄神明王社 |
尼大阪、京中山 |
現所在地不明 |
14 |
西宮市門戸西町 |
かぶと山くわんおん |
ーーー |
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15 |
西宮市門戸西町 |
か婦と山 |
ーーー |
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16 |
西宮市上が原山手町 |
甲山 |
ーーー |
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17 |
西宮市仁川百合野町 |
ーーー |
尼崎 |
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(道標記載事項のうち、本街道関連の内容のみ抜き出しました) |
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【街道名】 |
甲山道 |
主に尼崎市域で呼ばれていたようで、市域内に現存する全ての道標に「かふと山道」と記載されています。 |
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門戸道 |
道標の傾向から見て、西宮市域では、門戸厄神への参詣道としての認識が強かったようです。『甲東の文化財を訪ねて』(昭和59年)に「ここ(=下大市)から北西、甲東小学校方面へ向かう道が門戸道と呼ばれ、昔の両名刹への参詣道であった」との記述があります。 |
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尼崎道
(尼道) |
『武庫郡誌』の甲東村の章、里道の項に「尼ヶ崎道、下大市字屋敷より助兵衛新田に至るもの」との記述が見られます。また『甲東の文化財を訪ねて』に「武庫川を渡って尼崎に至るので『尼みち』とも称された。」とあります。 |
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大坂道 |
ほぼ全ての道標に「尼崎道」と共に記載されており、尼崎から梅田街道を経て大阪に達する道筋を指すと思われます。なお、西宮市域からは、伊丹街道を通って塚口を経由し、神崎から中国街道を利用して大阪に至る方法もありました。 |
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新田道 |
西宮市域の武庫川西岸は江戸時代に開拓された新田地域ですので、「下大市から守部(尼崎市)の渡しに向かう道は新田道と呼ばれた。」(『甲東の文化財を訪ねて』)ようです。
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