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阪神今津駅の少し東、線路を斜めに横断していた旧国道踏切から西宮方向を写した写真です。撮影は昭和29年です。

線路の北側、津門西口町は今の鳴尾御影線あたりまで人家はほとんどありませんでした。
踏切あたりは津門宝津町で、こちらは古くから人家や商店が密集していて、線路の柵に布団が干されています。

遥かかなた、六甲山の手前、写真右端にかすかに甲山が見えます。当時は西宮市内のどこからでも甲山が見えました。



今は高架の橋脚とかさ上げされた津門川の堤防に遮られて西の方が見渡せませんので、津門川の堤防から撮影してみました。



もう高いビルにでも上らない限り甲山は見えません。

ちなみに、昭和29年の写真に写っている電車は通称「喫茶店」と呼ばれた人気のある電車でした。
何故人気があるかと言うと、運転席は正面から見て右端1/3しか無く、残り2/3には乗客は入ることが出来たからです。
特に、真ん中の扉は縦長の大きな窓のついた折戸で、ちょうど手の高さに手すりがついていて、昔々の喫茶店の入口に似ていたことから「喫茶店」と呼ばれていました。
写真を拡大してみると、数人の大人にまじって一人の子供がへばりついて前を見ているのが分かります。
なにぶん小さな電車でしたので、この約10年後には今のような大型電車に取って代わられました。





昭和29年の写真は関東在住のむ〜さんからお借りしました。
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今津っ子さんキャラクター??
コメントのアイコンもですが、とてもユニークで可愛いですね(笑)

[ kokoro ] 2010/12/06 20:37:35 [ 削除 ]
☆kokoroさん。
残念ながらモデルは私ではありません。
ただ、今まで使っていたパンダアイコンよりは私に近いでしょう f^_^;

[ 今津っ子 ] 2010/12/07 2:27:24 [ 削除 ]
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鳴尾御影線の踏切り辺りから北に、阪神国道駅の方に向って写された写真です。撮影されたのは昭和29年です。



昔から高架であった阪神国道を出た電車が今津に向って下ってきました。たまたま、当時も今と同じ3両編成でした。もっとも、今よりずっと小さい電車でしたが。

車内放送装置はありませんでしたから、電車が駅を発車すると車掌さんが「次は阪神国道、阪神国道」などと1両ずつ案内して回りました。

2号線沿いに少し建物がある以外、線路の東側は一面の田圃でした。



今は高架の橋脚や高架下の建物のために昔のアングルでは撮影できませんので、高架の東から撮影しました。



昭和29年の写真は関東在住のむ〜さんからお借りしました。
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上のピョンピョン・・・
かわいいですね^^この辺りは身近なので
とても楽しく見させてもらっています。
[ ショコママ ] 2010/12/06 11:33:15 [ 削除 ]
うちのブログは固い話題が多いので、ちょっと息抜きにいたずらしてます。
色んな芸をしますので、お楽しみに。
ところで、おやじのモデルは私ではありません。
あしからず f^_^;
[ 今津っ子 ] 2010/12/06 15:50:54 [ 削除 ]
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駅が高架になる以前、阪神今津駅前広場の中央にロータリーがありました。
ロータリー内は元々芝生のようなものが植えられていたようですが、後に日本盛の広告塔が建てられました。



昭和50年代の中頃まで、阪神バスの西宮浜手線が今津駅前に乗り入れていましたので、国道43号線の今津交差点から北上して駅前広場に入り、ロータリーを回って再び今津交差点に戻っていました。
また、西宮尼崎線も現在のようにここで阪神線を渡るのではなく久寿川駅前経由でしたので、西宮浜手線と同様にロータリーを回っていました。



ロータリーの奥には阪神タクシーの乗り場があり、更にその奥は阪神電車の保線基地になっていました。
タクシーはロータリーで回転するのではなく、一旦保線基地の敷地内に入り、そこで方向転換して乗り場に並びました。

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今津っ子さん、お久し振りです。まだ車が今のように普及していない、ある意味良き時代ですね^^この頃を知らないのに懐かしく思うのは何故?!ところでロッテリア、ご自分からミーハーと言われる今津っ子さんは
オープン初日に行かれましたか?!
[ ショコママ ] 2010/11/08 8:53:14 [ 削除 ]
写っている車や木造の駅舎が懐かしさを思い起こさせるのでしょうね。
で、ロッテリアですが・・・
やっぱり初日に行きました。
もっとも開店時のごあいさつの嵐の中を歩く勇気はなく、少し遅れて入りました。
[ 今津っ子 ] 2010/11/08 9:22:44 [ 削除 ]
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関東在住のむ〜さんが昭和51年に撮影された写真をお借りしました。
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大阪行きホームから神戸行きホームの広告看板を撮影したものです。

谷向病院、坂上田病院、和上町の高橋病院は健在ですが、甲子園洲鳥町の百瀬診療所は今はありません。
新響楽器店は西宮北口店のことでしょうか。

なつかしい木製ベンチには大関の文字が見えます。

下の写真の左端に「チヤ」とあるのは、地図から判断すると「こひつじ幼稚園」の北側の「鹿谷質舗」と思われます。

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今津っ子さん、今津駅は随分変わりましたね。む〜さんのブログを訪ねました。鉄道繋がりなのでしょうか?!驚いたのは、む〜さんが私の大好きな社交ダンスの先生と知ったことです。
[ ショコママ ] 2010/09/12 7:23:21 [ 削除 ]
昨夜、たまたま南野武衛氏の「西宮文学風土記」の中の野間宏が、南野氏へ送った手紙の引用を読んでいました。その中に自分(野間)が中学時代住んでいたのは「甲陽中学と百瀬結核病院(現存するかどうか解りませんが)の中間位のところ)」という記述があり、百瀬結核病院というのはあったかな?と思っていたところでした。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/09/12 9:50:12 [ 削除 ]
ショコママさん。
む〜さんんち訪問ありがとうございます。
ご推察通り、鉄道つながりでむ〜さんを知りました。
ブログ上でのお付き合いですので、社交ダンスのことは知りませんでした。

西宮芦屋研究所員さん。
いずれ百瀬さんのことも書きたいのですが、まだ調査不十分ですので、ちょっと先になると思います。
20年くらい前まで、新川の東側沿い、43号線の2本南の角に蔦のからまる古風な建物の百瀬診療所がありましたが、これは元は百瀬家の自宅で、戦前はその少し北、現在の43号線の南に百瀬病院がありました。
野間氏の言う百瀬病院はこちらの方だと思います。
[ 今津っ子 ] 2010/09/12 20:25:46 [ 削除 ]
西宮芦屋研究所員さん。
ちょうどいい機会ですので、野間宏について現在調査のできている範囲で書くことにしました。全部で4回にわたる予定です。
[ 今津っ子 ] 2010/09/15 19:52:35 [ 削除 ]
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今回は関東在住のむ〜さんが昭和29年に撮影された写真をお借りしました。
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阪急電車が阪神国道駅なのに、国道線の停留所名は北今津で不思議な気もしますが、鉄道会社は自社線の利用者にとって分かりやすい名前を付けますから、全国各地でこのような例が見られます。

頻繁に運転されていて利用しやすかった国道電車ですが、自動車が増加するにつれて交通渋滞のためスピードが遅くなり、戦後運行を始めた阪神バスに徐々に利用者を奪われて、昭和49年(1974年)にこの区間が廃止されるころには1時間に1本程度しか走っていませんでした。

かつては沿道に高い建物も無く、遠く六甲山まで見通せましたが、今では甲山すら見えなくなってしまいました。

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阪急今津線の西宮北口今津間が開通したのは大正15年(1926年)12月でしたが、阪神国道駅が開業したのは約半年遅れの昭和2年(1927年)5月でした。完成したばかりの阪神国道(国道2号線)に阪国電車が走り始めたのは更に2カ月後の7月でした。

写真には阪国電車が写っており、このころに撮影されたようです。

阪国電車が廃止されて軌道が中央分離帯に変わったり、国道を跨ぐ歩道橋が設けられたりしていますが、鉄道橋や橋脚は当時のままですし、駅施設も開業時の面影を残していて、80年以上の歳月を隔てているとは思えないほどです。

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昔はなにも回りになかったんですね。
私も小さい頃この国道電車の記憶があります。
確か花電車?できれいに飾ってあったような?
[ のに ] 2010/07/09 9:51:36 [ 削除 ]
阪急電車と阪神電車が駅の構内で、つながっているのは阪神・阪急今津駅だけです。
これが、1926年に出来て、約80年経ってから、経営的に阪急と阪神が統合され、H2Oグループが出来ました。そのきっかけを作ったのが、あの村上ファンドの村上氏です。彼は、大阪市内の家から、神戸の灘中、灘高へ毎日、違った路線で通学していました。
二つのHを統合することにより、そのに莫大な価値が生まれることを見抜いた彼が、物理的に、二つのHをつなぐ今津線の中間にある唯一の駅の阪神国道駅をどう見ていたのか興味があります。

[ 西宮芦屋研究所員 ] 2010/07/09 11:24:11 [ 削除 ]
のにさん。
本文では阪国電車と書きましたが、普通は国道電車と呼んでいましたね。神戸市電の花電車は見たことがありますが、国道電車のは見たことがありません。見てみたかったですね。
西宮芦屋研究所員さん。
昔は阪急と阪神の線路がつながっていましたね。昭和26年に阪急電車が久寿川まで暴走する事故を機に線路が切られたと書かれることがありますが、実際には車止めが設けられただけで、レールはつながったままでした。小型車3両編成だった今津線の電車が4両編成、5両編成になってもホームを大阪方に延長するだけで対応していましたが、昭和40年ころに大型車に置き変わったころ、更にホームを延長する際、ついにレールが分断されました。
[ 今津っ子 ] 2010/07/10 5:20:58 [ 削除 ]
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今津っ子 

変わり行く今津の風景の中に、今も残る昔の面影を探します。

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