(3)
1 2 3 4 5 6 7 8


クリックで拡大↑

28 かまっこ橋の碑
29 喫茶かまっこBOX
30 喫茶店沿いの歩道が旧道。
かまっこ


 かまっこBOX店内に貼られていた新聞(誌名、掲載日付ともに不明)に「かまっこ」の由来が書かれていました。

 「島江の稲本から菰江に行くにはな、“かまっこ”を右にとってかまっこ橋を渡るんじゃーーー」。明治の頃にはこんな会話が聞かれた。・・・
 “かまっこ”と呼ばれ、庄内の人たちが愛したこの地は、今の豊中市大黒町一丁目八番あたり。現在、この地に「かまっこBOX」という名の喫茶店がある。
 経営者の西口盛一さんはこの地に生まれ“かまっこ”で遊び、育った一人。
 その昔、島江方面から菰江方面に行くには、草刈り鎌に似た道を右にとり、旧井江川(いのえがわ)支流にかかる橋を渡らなければならなかった。道の形が鎌に似ており、菰江に抜けるという意味から“鎌っ菰(かまっこ)”と呼ばれるようになったらしい。そしてこの橋も“かまっこ橋”と呼ばれ、地元の人たちに愛されていた。
 現在の「かまっこBOX」の前が川で、そこに“かまっこ橋”がかかっていたのだそうだ。西口さんはこの旧名称を後世に残したいと考え、店の名にし、そして“かまっこ橋”の南橋詰にあたるところに「旧名称・かまっこ橋」と記した石標を自費で建てた。

 記事は街道に言及していませんので、店主の西口さんに直接話を伺いました。西口さんは元々街道名は知らなかったそうですが、石碑建立後にこの道が「京街道」で呼ばれていたと古老から指摘され、その旨石碑に追記したとのことです。
 また、昔はよくこの道を駕篭が通っていたと祖母から聞いたことがあるとのことです。西口さんのご年齢から考え、おそらく江戸時代の状況を述べたものと思われます。

31 この付近は一貫して拡幅され、歩道が設けられています。
32 庄内南小学校前。
33 かつては前方の南北路は川で、橋か架けられていました。
34 右にゆるく曲がるまでは旧道の道筋のまま。かつては逆に左にゆるくカーブしていました。
35 この付近の旧道は、明治時代に工場建設のため失われました。
36 現在の広い道は、旧道にほぼ平行して設けられた新道。
37 国道176線を渡ります。
38
39 最近高架化された阪急宝塚線をくぐります。
40 天竺川堤に向けてやや急な坂を上ると、洲到止に通じる道と交差します。
41 抜け道となっている路地を抜けると、家1軒分先で更に能勢街道と交差します。
41
-2
但し、洲到止に通じる道で左折して能勢街道に出るのが古来のルートのようです。
42 天竺川に架かる小橋を渡ります。