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西宮市が市民に配布している地図を使用しています。 カーソルを画像に合わせると、明治18年測量の地図が表示されます。 |
↓写真をクリックすると別窓で拡大写真が表示されます。 | ||||||||||||
1 | 東の荒木地区からやって来た道と合流します。 | |||||||||||
2 | 高木八幡神社です。 | |||||||||||
3 | 辻の西南の角、神社の敷地内に道標と顕彰板があります。かつては道路上がにあったそうですが、震災後の区画整理に伴い、現在の位置に移されました。 なお、移設に際して、土中に埋まっていた部分も露出した関係で、従来よりも下部の文字まで読めるようになりました。 「すぐ西之高」とありますが、南に進むと、すぐに高木集落が尽きて一面の田畑となり、この「西之高」が何を示しているのか不明です。 |
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5 | 顕彰板です。 道標北面の表記内容部分に誤記があります。 |
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6 | 神社から、旧高木集落を西に向かいます。高木村では宮の通いと呼んでいました。 | |||||||||||
7 | かつては、道に平行して旧津門川が流れていましたが、今では川は完全に埋められ、痕跡もありません。 | |||||||||||
8 | 旧高木集落の終わりです。 約10mm程の歩行者専用道路を抜けると、再開発で整備された広い道路に出ます。 |
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9 | 大幅に道が拡幅されていますが、車道の左(東)端付近がかつての川および道でした。なお、この付近で川と道が入れ替わっており、左(東)が川、右(西)が道でした。 | |||||||||||
10 | かつては、阪急神戸線を踏切で渡っていましたが、現在は地下道化されています。 なお、左の自転車専用通路部分がかつての川、右の歩行者専用通路部分がかつての道にあたります。 |
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11 | 阪急西宮北口駅東南の駅前広場に出ます。
駅以南は、大正12年の郡制廃止の際に、西宮西宮北口線として郡道から県道に格上げされました。 |
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12 | 歩道部分は暗渠化された川で、道路部分の左(東)半分がかつての道でした。 なお、写真の車が止まっているあたりで旧高木村は終わり、旧津門村(明治以降は旧今津村に含まれる)に入ります。 |
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13 | 踏切で阪急今津線を斜めに渡りますが、震災後の再開発で建てられたプレラにしのみやに遮られて道は途切れます。 |
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14 | プレラにしのみや3階通路から逆方向に踏切を見た写真です。元々は今津線線路を斜めに横切る細い踏切でしたが、のちに西へ向かう新道に合わせて拡幅されました。
なお、踏切部分では川が露出しているため、線路は短い鉄橋を渡ります。 |
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15 | プレラにしのみや南方で道が復活します。 | |||||||||||
16 | 左の歩行者専用部分が川でした。 道の右(西)側は、かつては旧津門村に属する津門池でしたが、昭和の初期に埋められてしまいました。 |
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17 | この付近が池の南端で、S字カーブになっています。 | |||||||||||
18 | 左の歩道が川でした。 旧津門川は、武庫川上流で取水した用水を津門地区に供給する重要河川でしたが、戦後、少し西に新しい津門川が開削されたため、現在ではその役目を終えています。 |
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19 | 左(東)から来た伊丹街道と合流します。 ただし、単純にクロスするのではなく、津門川とも関連して少し変則的な交差点になっていました。 明治時代と現在を比較した地図はこちら。 なお、戦後も明治以来のままでしたが、昭和30年代に道の拡幅と合わせて直線化されました。 |
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