街道名称 高木今津道
別名 有馬道
宮の通い


【用途】 西宮南部市域を縦断する比較的長い街道ですので、複数の用途に用いられていました。
1.市域南東部(今津地区)と宝塚中山有馬方面を結ぶ。
阪急今津線が昭和の初めに全通するまでは、本街道が利用されていました。なお、宝塚側の情報として、宝塚から今津まで通じていた12・3人乗りの乗合馬車が、湯本町にあった元の警察署前から出ていたそうです。(前田光夫著「わがまち宝塚の歴史」)
2.上下大市地区と段上地区にある墓地を結ぶ。
いわゆる「そうれん道」として利用されていました。
3.高木地区と西宮や今津地区を結ぶ。
今津線開通後も、当時としては庶民にとっては運賃に割高感があって利用率は低く、本街道の利用者がまだまだ多かったようです。開業時の阪急今津駅は現在と同じ位置で、阪神今津駅とは離れていましたが、阪神からの乗り換え客を確保するために、まもなく阪神電車のホーム北隣まで線路が延長されました。
4.今津津門地区とJR西宮駅を結ぶ。
【道標】 本街道上には複数の道標が現存していますが、その内、本街道を示すものは3基です。
1.本街道の北の起点の段上地区
2.西国街道との交点の下大市地区
3.本街道中ほどの高木地区
【街道名】 高木今津道 段上地区の道標と、下大市地区の道標に「高木今津道」と記されています。
有馬道 西国街道以北で用いられた名称です
下記の地誌に記述があります。
『武庫郡誌』に
「有馬道、上下大市を貫き段ノ上を經て、良元村に入るもの。」
『上大市村地誌』(『甲東村から』に収録)に
「有馬道、里道第一等ニ属ス、本村ノ東方西国街道字丸藪ヨリ支分ケシ、本村ヲ經テ段上村字町田ニ至ル。」
『段上村地誌』(『甲東村から』に収録)に
「有馬道、里道第一等ニ属ス、本村ノ東北方上大市村界字庄上ヨリ本村ヲ經て、北方本村中山道ニ合ス。」
宮の通い 旧高木村で用いられていた名称です。
『瓦木村誌』(昭和27年)に記述があります
「西宮北口より高木部落に入り、其の中央で北折して下大市に至る道路。・・・高木では、俗に宮通ひと言ってゐる」
(「宮通ひ」は「宮の通ひ」の誤記か)
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【主な参考文献】 武庫郡誌 大正10年 武庫郡教育會
西宮の道標 宮崎延光 昭和44年 熊野神社社務所
創立十周年記念会報 昭和35年 上大市第二自治会
下大市今昔物語 松岡考彰 昭和38年 下大市自治連絡協議会
下大市の民俗 昭和57年 西宮市教育委員会
甲東の文化財を訪ねて 昭和59年 甲東文化財保存会
甲東村から 渡辺久雄 平成5年 神戸新聞総合出版センター
瓦木村誌 昭和27年 西宮市役所